CRAZY ABOUT

人目を気にせず、好きであれ

学生のララバイ

 24年間学生という身分が私のアイデンティティだった。でも卒業式を境に、学生にお別れをつげなければならない。サヨナラの挨拶、または自分に向ける、鎮魂歌のように。

ばいばい、学生。また会いましょう。

小学生から大学生までを一言で表すと、コンプレックスとの戦いだった。生まれつき背は低く細い私は、スポーツに向いている身体ではなかった。それでも運動が好きだった私は野球を始めた。

それから始まるコンプレックスとの戦い。

周りがどんどん上達するなか、打球は飛ばず、身長は伸びずと苦しい思いをした。「夢は諦めなければ必ず叶う」とプロ選手が言った軽い言葉を信じ、練習すればきっと上手くなると純粋に思っていた。厳しい言葉だが、人には向き不向きがある。努力の言葉では簡単に片づけられない事がたくさんだ。でも世の中は特に子供に対して、曖昧に無責任な言葉で夢を見せたがる。

高校時代は今まで得意だった勉強もできなくなり、コンプレックスが増えた。努力すればきっと…という言葉が私を苦しめ、コンプレックスと戦っている内にボールが投げれなくなった。 気づいた時には野球が大嫌いだった。そして、小学生の頃の夢は、現実と向き合う回数が増えた結果、無くなっていた。

野球で苦しんだコンプレックスを勉学で克服しようと思い、浪人時代は朝から晩まで勉強した。毎日同じのルーティーンに刺激を求め、全ての料理にハバネロスパイスを振りかけ、そして、アフロになっていた。

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大学入学後も勿論、コンプレックスと戦った。人間関係、勉学、顔、能力。それでも無くなることのない、コンプレックス。テレビに映るしたり顔の有名人が、子供や社会に向かって偉そうな事を偉そうに述べる。「自分を持って生きろ!人と比較するんじゃない!気にするな!」と。あいにく、そんな図太い神経は持ち合わせていなかった。


友人と過去の話をするときに、その当時の辛かった話をようやく、笑い話にできるようになってきた。しかし、いまだに夢をみる。その当時の痛みや味や匂いが夢の中にでてくる。夢で良かったと、冷や汗をかきながら毎回目覚める。その度に当時の私はまだ成仏できていないのだと思う。夢の中までできて、忘れるなと、逃げるなと、言っているように。


そんな学生時代も2018年3月26日で、終わりを告げた。だからといって、何かが変わるわけではない。変わるのは社会的な身分とすこしばかりの責任が増えるだけ。これからも終わらない自分の弱さと向き合い、戦っていくのだろう。でもこの日だけは、これまで、弱さと戦ってきてくれてた学生の私を強く抱きしめ、そしてこう言ってあげた、

お疲れ、自分。これからもよろしく。と